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枝野の発言

平成27年9月18日の衆議院本会議における枝野が行った内閣不信任決議案趣旨説明の全文を以下に掲載します。

尚、動画は衆議院TVから見ることができます。
以下のURLより、説明・質疑者等で枝野幸男をクリックしてください。
http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=45291&media_type=fp

平成27年9月18日 衆議院本会議

内閣不信任決議案趣旨説明〈全文〉

○枝野幸男君 民主党の枝野幸男です。
 まず冒頭、今回の台風十八号関連による大雨被害によってお亡くなりになられた方々に対し、改めて衷心よりお悔やみを申し上げます。また、各地で被災された方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 さて、これより、私は、民主党・無所属クラブ、維新の党、日本共産党、生活の党と山本太郎となかまたち、社会民主党・市民連合を代表し、安倍内閣に対する不信任決議案の提案の趣旨を説明いたします。(拍手)
 まず、決議案の案文を朗読します。
  本院は、安倍内閣を信任せず。
   右決議する。
    〔拍手〕
 二〇一二年末の総選挙で、総理は、日本を取り戻す、こう何度も絶叫し、政権の座に着きました。
 成長戦略実行国会、好循環実現国会、地方創生国会、改革断行国会。国会のたびに、安倍総理は、経済やさまざまな改革に取り組むようなキャッチフレーズをつくりました。
 しかし、安倍政権の経済政策は、日本銀行任せの異次元と称する節操なき金融緩和、そして財政出動という、いわば痛みどめとカンフル剤にすぎず、一時的に景気回復の幻想をばらまいただけに終わっています。
 地方創生もさまざまな改革も、そのポーズだけは立派でありますけれども、本気でやる気があるとは到底思えません。地方の疲弊はますますひどくなり、財政規律を無視したばらまきが大規模に復活をしています。
 そんな中で、安倍総理が唯一精魂込めて取り組んだのは、政府に都合のよい特定秘密保護法の成立であり、今回の、立憲主義を破壊し、戦後日本の骨格をゆがめようという安全保障法制の成立でありました。
 政府・与党は、七月十六日に本院で、そして九月十七日には参議院の特別委員会で、国民の理解が全く得られておらず、多くの国民が反対をしているにもかかわらず、この違憲法案を強行採決しました。
 立憲主義に反する戦後最悪の法案を戦後最悪の手続で強行する姿勢は、まさに暴挙そのものです。安倍内閣は、もはや、民主的政府としての理性を失い、みずからブレーキをかけることができない暴走状態と化しています。
 くしくも、本日九月十八日、一九三一年、いわゆる満州事変が勃発をした日であります。安倍総理が取り戻すと称している日本は、このころの、つまり満州事変から日華事変、日中、日米戦争へと至る、昭和初期の暴走していた時代の日本ではないのでしょうか。
 この暴走をとめる責任が私たちにはあります。私たちは、この今も、国会の周辺で、全国各地で、怒りを込めて声を上げている多くの主権者の皆さんの思いを背に、万感の怒りを込めて内閣不信任案を提出いたしました。
 以下、本決議案を提出する理由の一端について、具体的に説明を申し上げたいと思います。
 まずは、何といっても安全保障法制であります。
 安倍政権が今まさに無理やり成立させようとしている安全保障法制は、その内容においても、プロセスにおいても、その背後にある政治理念においても、戦争への深い反省に基づく民主主義と立憲主義、そして平和主義と専守防衛に基づく戦後の安全保障政策を大きく転換、破壊し、戦後七十年の平和国家、民主国家としての歩みを逆転させかねない、まさに戦後最悪のものであります。
 そもそも、安倍政権が進める自称積極的平和主義とは何なんでしょう。対話や地道な外交努力を軽視し、武力による抑止に偏っており、政府が言うような日本の安全と地域の平和を約束するものでは到底あり得ません。
 私は、この本会議場で、この安全保障法制の趣旨説明に対する本会議質疑に立たせてもいただきました。その折も申し上げました。
 昭和十二年、盧溝橋事件における当時の政府の声明は、東亜の平和の維持を掲げていました。昭和十六年、日米開戦の折の宣戦の詔書は、東亜永遠の平和を確立と掲げていました。
 我が国だけではありません。ベトナム戦争における米国両院合同決議、いわゆるトンキン湾決議は、東南アジアにおける国際平和と安全の維持が国益と国際平和にとって死活的であるとして、本格介入を承認しました。
 平和のためという大義名分は、まさに繰り返し、戦争を正当化するための方便として使われてきたのであります。平和が強調されている場合には、眉に唾をつけて受けとめるべきというのがまさに歴史の教訓なのではないでしょうか。
 戦後七十年のことし、なぜ、さきの日中、日米戦争などで多くの犠牲が払われたのか、その中から、なぜ戦後の平和主義が生まれたのか、そして、満州事変が勃発したきょう九月十八日、なぜあの柳条湖事件が起こり、満州事変へと拡大したのか、先人の歩みと思いにしっかりと目を向ける必要があると感じています。
 知者は歴史に学ぶといいます。こうした歴史をいかに総理が踏まえていないのか、それがこの安全保障法制、そしてこれをめぐる一連の国会審議等に如実にあらわれていると私は痛感をしています。
 安全保障法制の具体的な問題点にも触れていきたいと思います。
 まずは、何といっても、憲法違反であるという根本的な問題であります。
 政府案による集団的自衛権の行使容認、そして後方支援の武力行使との一体化、これは、日本への武力攻撃がなくても自衛隊による武力行使を容認するものであり、従来の専守防衛を明らかに逸脱し、従来の憲法解釈からは到底許されない、憲法違反のものであります。
 衆議院の憲法審査会においては、自民党推薦の参考人としておいでいただいた長谷部教授を含め、招致された憲法学者全員が、政府案は憲法違反であると明言をされました。
 七月に行われたアンケート調査では、百四十四人の憲法学者のうち、百二十二人という圧倒的多数の憲法学者が憲法違反だと批判をしました。
 山口繁元最高裁判所長官、濱田元最高裁判事、さらに、法制局長官を経験した専門家、見識ある、まともだったころの自民党の有力OBたちも、憲法違反だと批判を繰り返しています。
 政府は、安保法案が憲法違反であるという野党などからの批判に対し、違憲かどうかを判断できるのは憲法の番人である最高裁だけだと主張をしてきました。にもかかわらず、元最高裁長官などの究極の専門家の発言を受けると今度は、総理は、今や一私人と切って捨て、中谷防衛大臣も、一私人の発言に一々コメントしないと答弁をしています。
 最高裁長官を経験した方の言葉には相応の重みがあります。しかも、山口元長官は職業裁判官の出身でおられます。私も法曹の一角を占めさせていただいていますが、日本の職業裁判官がいかに政治的中立性の重要性を意識しているのか、これは本当に、ある意味で日本の司法、法曹の中立性、公正さ、こうした観点から誇るべきものだと私は感じています。
 そうした職業裁判官の中でしっかりと仕事、実績を積み重ねられ、その結果、最高裁判事、そして長官にまで上り詰められた山口氏は、誰よりもそのことを意識している方である。その山口元長官があえて発言をした意味を、さらには、山口氏のほかにも少なからぬ元職業裁判官が今声を上げているということの意味を理解しようとしない姿勢は、御都合主義そのものであると言わざるを得ません。
 政府が集団的自衛権の根拠たり得ると主張するいわゆる砂川判決は、国家がその自然権的権利として当然に自衛の措置をとり得ることを認めたにすぎません。それが個別的自衛権なのか集団的自衛権なのかは、判決では全く触れていません。これを集団的自衛権の根拠たり得るという主張は、全くもって、ないところから無理やりに何かを生じさせようとするものであり、奇想天外であります。
 だからこそ、当初、山口那津男公明党代表も、自衛隊が合憲か違憲かという論争の中で下された判決であり、集団的自衛権を視野に入れた判決ではないと発言をされています。繰り返します。山口那津男公明党代表の御発言であります。
 安倍政権は、集団的自衛権に関し、これまで政府の姿勢の基礎とされてきた昭和四十七年見解、これは、参議院決算委員会に提出された、昭和四十七年十月十四日、集団的自衛権と憲法との関係に関する政府資料でありますが、これについて、その一部のみを便宜的に切り取って基本的論理とした上で、それに今日の安全保障環境の変容を当てはめれば集団的自衛権行使は可能と主張をしておられます。
 しかし、この四十七年見解、しっかりと読めば、そんな奇想天外な話は出てくるはずがありません。
 四十七年見解はこう述べています。
 政府は、従来から一貫して、わが国は国際法上いわゆる集団的自衛権を有しているとしても、国権の発動としてこれを行使することは、憲法の容認する自衛の措置の限界をこえるものであつて許されないとの立場にたつているが、これは次のような考え方に基づくものである。
 いいですか。つまり、この後申し述べる部分は、集団的自衛権を行使できないということの理由を説明する部分です。
 その中で、
  憲法は、第九条において、同条にいわゆる戦争を放棄し、いわゆる戦力の保持を禁止しているが、前文において「全世界の国民が…平和のうちに生存する権利を有する」ことを確認し、また、第一三条において「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、…国政の上で、最大の尊重を必要とする」旨を定めていることからも、わが国がみずからの存立を全うし国民が平和のうちに生存することまでも放棄していないことは明らかであつて、自国の平和と安全を維持しその存立を全うするために必要な自衛の措置をとることを禁じているとはとうてい解されない。しかしながら、だからといつて、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであつて、それは、あくまで外国の武力攻撃によつて国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最少限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行なうことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであつて、したがつて、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない。
この部分全体が、「次のような考え方に基づくものである。」という言葉のもとに置かれている文章であり、その集団的自衛権の行使は、憲法上容認する自衛の措置の限界を超えるものであるの理由として、今の部分が述べられているんです。
 この中から部分的に取り出して、集団的自衛権行使容認の根拠にするだなんというものは、無から生み出すんじゃなくて、マイナスから生み出すようなものです。到底、論理的に成り立ちません。
 まさに、本当に、この四十七年見解を根拠に憲法違反じゃないとおっしゃっている方は、この四十七年見解をちゃんと熟読されたんでしょうか。熟読されてあのような解釈を導かれるとすれば、小学校や中学校で接続詞の使い方とか意味を習ったんでしょうか。私は、日本語の使い方、接続詞の使い方、それを理解してこの日本語を読んで、ここから集団的自衛権の部分行使容認を導ける、これはとても、日本語の範疇を超えていると言わざるを得ないと思っています。
 政府は、安全保障環境が変わったから憲法解釈を変更できると強弁をしています。これを無条件に認めたのでは、時の政権の判断で憲法を勝手に解釈することになり、憲法の意味がなくなります。
 衆議院の審議で中谷大臣は、「現在の憲法をいかにこの法案に適用させていけばいいのかという議論を踏まえまして閣議決定を行ったわけであります」と。憲法に法律を適合させる、別に大学の法学部で習わなくても、中学校の社会科で習う世界だと思います。
 この内閣は、恐ろしいことに、憲法は法律の下にある、こんなことを堂々と国会の審議でおっしゃる。憲法が法律の下なら、安保法案もそれは適当かもしれません。しかし、中学生でもわかる話です。憲法に従って法律はつくられなければならないし、解釈されなければならない。こんな当たり前のことをこの国会の議場で言わなければならないことを、私は大変悲しく思います。
 大体、砂川判決の後も、昭和四十七年見解の後も、歴代自民党政権は、集団的自衛権は憲法違反とずっと言い続けてきたのではないですか。状況が変われば認める余地があり得るだなんという話を私は聞いたことがありませんし、今回の議論でもそうした説明は一度も聞かされておりません。
 高村副総裁は何度も、憲法違反じゃないといろいろな詭弁を弄されておりますが、高村さん御自身、外務大臣のときに、留保なく、つまり、状況が変われば容認される余地があるだなんということは全くおっしゃらずに、集団的自衛権の行使は憲法違反であると明言されているじゃないですか。
 中谷防衛大臣に至っては、集団的自衛権を行使容認できるようにしたいけれども、解釈ではできないから憲法典を改正するんだとおっしゃっているじゃないですか。
 従来から、状況によっては解釈する余地があると思っていたのなら、まずそれをやりましょうとなぜその時点で言わなかったんですか。まさに、今まで自分たちが言ってきたことを百八十度ひっくり返している話なんですよ。
 あるいは、お二人以外にも、たくさんの歴代自民党の閣僚、党幹部の皆さんが、留保なく、集団的自衛権行使は憲法違反だと繰り返されてこられました。中曽根元総理も福田元総理も、たくさんの歴代自民党政権の皆さん、こうした皆さんは本当は、状況が変われば行使できるというはずなのを、ずっとみんな間違え続けてきたんですか、中曽根さんも皆さんも。そう言っているにほかならないことですよ。その中には、集団的自衛権、本来なら行使したいと思っている方も少なからずいたはずではないですか。
 歴代内閣法制局長官も、当然、法律家の基本として、状況が変われば部分的に容認できる余地があるなら、そのことを付言して、集団的自衛権の行使は憲法違反だと歴代言い続けてきたはずですよ。何で急に、今度の長官になったら変わるんですか。歴代長官は気づかなかった、それは失礼じゃないですか、歴代長官に対して。
 集団的自衛権の行使を容認することは、憲法改正に匹敵するような、まさに憲法解釈の重大な変更です。これが本当に必要なことで、国民の理解を得られるのであるならば、憲法改正を言わなければいけないじゃないですか。国民の過半数の賛成を得て実施する憲法改正の手続をなぜ訴えなかったんですか。こうしたことを無視して一内閣の独断で解釈を変更している、これは立憲主義に反する暴挙であります。
 麻生副総理は自分で認めておられます。
 平成二十五年七月二十九日に開催されたシンポジウムでの発言、「僕は今、三分の二という話がよく出ていますが、ドイツはヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ。」「ヒトラーは、選挙で選ばれたんだから。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。」「だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。わーわー騒がないで。本当に、みんないい憲法と、みんな納得して、あの憲法変わっているからね。」、結論部分を除けば、私も認識は一緒です。
 まさに、ナチス・ドイツは武力クーデターで独裁をつくったのではないんです。ワイマール憲法という、当時の世界においては最もと言っていいぐらい進歩的な憲法のもとで、民主的なプロセスを経て権力を握り、そうやって得た国会の議席の力で、いわゆる権力委任法という法律でワイマール憲法を事実上停止し、そして独裁に走った。まさに、時代認識はそのとおりです。
 その手法に学ぶというようなことを堂々とおっしゃっている。まさに、今やっていることはそれそのものではないんでしょうか。
 恐ろしいことに、東京大学法学部をお出になられた総理補佐官が、立憲主義を大学では教わらなかったとツイッターか何かで書かれています。
 ちなみに言うと、何も、最もレベルが高いと思われる東京大学法学部で習わなくても、立憲主義というのは中学校の社会科で教わります。
 まさに、権力は憲法によって制約される、権力者は憲法に従ってその権力を行使しなければならない、これが立憲主義であります。まさに、内閣総理大臣たるもの、この立憲主義によって拘束される忠臣であります。
 もちろん、我々国会議員も、その権力の一端を一時的にお預かりする者として、憲法に縛られ、憲法に反する法律をつくらない、そのために努力をするという責任を負っています。
 立憲主義をもって、それは王様の時代の、王様の権力を制約するためのものだ、こんな、あえて言えば、この話自体が一世代前の話と言っていいかもしれません、こんなすごいことをおっしゃっている方もいて、唖然としました。
 確かに、歴史的には、王様の権力を制約する、そのプロセスの中で立憲主義という考え方が広まり、あるいは鍛えられてきた、そういう側面が歴史的にあるのは間違いありません。では、いわゆる王権以外の権力は憲法に服さなくていいのか。そんなことはありません。
 まず、そもそも、私たち国会議員がお預かりをしている立法権という権力、それは何によって与えられているんですか、預かっているんですか。内閣総理大臣の権力、それは何によって与えられているんですか。
 選挙と言う人がいるかもしれません。それは半分でしかありません。その前提があります。選挙で勝った者にこういう権限を預ける、選挙で勝った者にこういう権力を行使させる、そういうことを憲法で決められているから、選挙で勝った者に一時的に権力が預けられている。
 同時に、その憲法は、無条件で権力を預けるのではない。こういうプロセスで誰に預けるかを決めることを規定していると同時に、その権力者はこういう規制の中でしか権力を使っちゃいけない、この両方を憲法で決めて、セットで私たちは委ねられているんです。この筋からいっても、王権ではない権力だといえども、私たちが預かっている権力そのものは、同時に、日本国憲法によって制限された中で負託をされている。選挙で勝ったから万能ではない。当たり前のことじゃないですか。
 しかも、民主主義というのは、戦後日本においては、民主主義の重要性がある意味で若干偏った形で強調され過ぎてきたのかもしれないと思うところがあります。立憲主義とセットになって初めて民主主義というのは正当化されます。
 なぜならば、民主主義は、決して多数決主義とはイコールではありませんが、多数の意見に従って物を決めていこうという考え方であること、これは否定をしません。しかし、多数の意見に従って物を決めていこうという考え方は、それだけでは決して正義ではありません。なぜならば、多数の暴力によってこそ、少数者の人権侵害というのは生じるからです。常に多数で物を決めればいい、多数意見が絶対なんだということであったら、あなたも私もみんな、この社会において安心して生きていくことはできません。
 今は、それは、自民党の皆さんが国会の中で多数、我々は少数かもしれないけれども、国家全体ということで考えれば、今、こうして元気に健康で仕事をさせていただき、こうしていろいろとお訴えをさせていただける。少数野党も含めて、ある意味では、人生のさまざまな側面において、我々は多数の側に立っています。
 しかしながら、例えば難病に侵されている方、けがを負って、障害を負っておられている方、例えばいろいろな形でその側面を見れば、少数の立場に立たれている方は世の中にたくさんいます。
 そして、皆さんも私たちも、今は相当の側面で多数派かもしれないけれども、常に、ある側面を切り取れば少数派である。あるいは、人生のいろいろな側面において、例えば不幸にも重い病気にかかったり事故に遭ったり、常に全ての人間は少数派になることがあり得る。少子高齢社会、高齢化が進んでいる社会とはいいながらも、人間年をとっていけば、年をとって体が自由にならなくなる。これは、やはりそうはいっても、少数者でしょう。誰もがいずれそうなる。
 そうしたときに、民主主義、多数で決めることが正義であるというその側面だけを取り上げたら、常に、自分が少数の側に立ったときに、多数によって何をされるかわからない、これでは誰も安心して暮らしていくことはできません。
 だから、民主主義というのは、憲法によって少数者の権利というものをしっかりと守る、民主的なプロセスで選ばれた権力といえども、ここは絶対やってはいけないんだ、こういうことはやってはいけないんだ、そういう縛りをかけておかなければ、民主主義は少数者に対する迫害になる。だから、民主主義と立憲主義というのはセットなんです。こんなことは世界の常識です。
 本人の了解を得ていませんから、とあると申し上げたいと思いますが、とある憲法学者の方が、この集団的自衛権の話のもっと前です、三分の二の国会の要件を外すという、裏口入学の憲法改正から入っていこうという試み、企てがなされたそんなころ、お話をしていたら、自分は立憲主義の重要性を十分に伝えてこなかったことにじくじたる思いがある、立憲主義というのは余りにも当たり前過ぎてしっかりと伝えてこなかった、そのことにじくじたる思いがあるというふうにおっしゃっていました。
 安倍総理大臣は、歴史に残る仕事をされたと思います。この国にいかに立憲主義というのが重要か、そのことを、当たり前過ぎていかに忘れていたか、そのことを、私も含めて多くの人たちに知らしめた、この限りにおいては大変大きな功績だと私は思います。
 立憲主義の破壊というものがいかに恐ろしいか、これは、歴史も私たちに教えてくれています。他国、ドイツの話だけではありません。戦前、日本が泥沼に陥っていったプロセスにはいろいろな節目があったと思います。
 まず申し上げておきたいのは、私たちはともすると、戦前、戦後と分けて、戦前がずっと暗黒の時代であったかのような印象を持っていらっしゃる方、あるいはそうしたことをおっしゃる方もいらっしゃいますが、私はそうは思いません。あえて申し上げれば、大日本帝国憲法、明治憲法も、あの時代の憲法としては、私は、世界史的に見ても相当進歩的な、すぐれた憲法であった側面があったし、だからこそ、普通選挙運動などを経て大正デモクラシー、そういう時代が築かれたりしました。
 しかし、それが道を誤っていった。これを憲法史の側面から捉えたとき、やはり憲法解釈の一方的な変更、これが一つの分かれ目になっていると思います。
 一つは天皇機関説です。
 先ほど、圧倒的多数の憲法学者あるいは裁判官、法制局長官、たくさんの人たちが、こんなものは憲法違反だ、これを一顧だにしない今の政府の姿勢をお話ししました。戦前、明治憲法において、天皇機関説は圧倒的通説でありました。美濃部達吉先生の特異な説ではない、当時の通説でありました。
 ところが、あるとき、この天皇機関説に対して、天皇陛下を機関車に例えるとは何事かという余りにも低レベルな批判でつるし上げ、この天皇機関説を、専門家が圧倒的に通説としている天皇機関説を排斥したんです。日本が曲がり角を間違えた、そんな時期と重なります。
 もう一つ、戦前の軍部の問題として、統帥権の独立が挙げられます。
 確かに、憲法の規定上、初めから統帥権は独立をしています。しかし、同時に、統帥権を有する天皇陛下の大権は、内閣の輔弼に基づいて仕事をすると明治憲法は定めております。ある時期まではしっかりと、内閣の輔弼を受けた天皇大権としての統帥権が独立をしているということであって、決して、内閣と無関係に、勝手に軍が統帥権に基づいて行動していい、そんな解釈や運用はされていませんでした。
 まさに、この解釈がいつの間にか勝手に変えられていて、内閣の言うことなんか聞かなくてもいいと解釈が変わり、運用が変わり、その中で、まさにきょう、全く同じ日に満州事変が勃発したと申し上げましたが、こうした軍部の暴走へとつながっていったのであります。
 こうした立憲主義を否定する、そうした政府は到底容認されるものではない、この一点をもっても、この内閣は不信任に相当すると申し上げなければならないと思っています。
 ちなみに、この憲法論を言うと、時々、いや、憲法学者は自衛隊違憲論が昔多数だったじゃないか、そんな中で、政府が決断をして自衛隊を合憲だと言って、だからよかったじゃないか、こういうことをおっしゃる方がいますが、本当に底の浅い議論ですね。
 解釈にはいろいろな次元と段階があります。新しいルールが設定されて、白地に新しい解釈をするとき、そのときには当然、憲法であれ、どんな法令であれ、どんなルールであれ、解釈には一定の幅があります。その幅の中で、許容される幅の中でどの解釈を選択するのか、ここには価値判断が入ります。価値判断が入るということは、政治の責任で判断もするということが入ります。
 日本国憲法ができ、憲法九条についての解釈が確立していない段階で、自衛隊まで、個別的自衛権までこの憲法で容認できるのかどうか。それとも、そうしたことまでだめで、自衛隊も違憲なのか。幅がある解釈の中で、白地に初めて解釈するに当たっては、まさに価値判断を政治の責任で行う、それは解釈論として正しい姿勢であります。
 しかしながら、個別的自衛権は合憲であるけれども集団的自衛権は憲法違反であるというこの解釈は、既に三十年、四十年の月日を経て確立した解釈になっているということです。
 確立した解釈を変えるに当たっては、まさに従来の解釈との論理的整合性と法的安定性が問われる、これもまた当然のことである。白地に初めて解釈をしたときの話と、今、確立した解釈を変更する話とを一緒くたにしていること自体で、この憲法論を語る資格はないと申し上げたいと思っています。
 今回の解釈変更、安全保障法制が立憲主義違反、憲法違反だということは、ある意味で、先ほど申し上げた立憲主義を御存じない礒崎首相補佐官が自白をされています。考えないといけないのは、我が国を守るために必要な措置かどうかで、法的安定性は関係ないと言い放ちました。渋々撤回をされましたが、安倍政権の本音そのものじゃないですか。だから、礒崎補佐官をトカゲの尻尾切りできずに擁護し続けたのではないですか。
 憲法を頂点とする法秩序の安定性よりも政権のそのときの意向、判断を優先する姿勢は、立憲主義どころか、法の支配を否定するものです。法の支配を否定するような政権の存続は危険きわまりない。しかも、安倍総理が海外で法の支配を強調しているというのは、ブラックジョーク以外の何物でもありません。
 何が必要かという判断は人によって異なります。したがって、判断者によって結論がころころ変わることになります。判断者によって結論がころころ変わったのでは、社会は成り立ちません。お互い安心して暮らしていけません。だから、法的安定性というのが求められているんです。
 必要か否かを優先するというのは一見もっともらしく聞こえる側面があるかもしれませんが、必要か否かを優先したらころころ結論が変わって、安心して暮らしていけないから法的安定性なんですから。そんなことを言ったら、法的安定性を求める根拠自体がなくなってしまいます。
 これは決して難しい法律家の議論ではありません。社会としての当たり前の常識です。東京大学法学部で立憲主義を習っていなくてもわかるはずです。
 こうした立憲主義違反、憲法違反であることに加えて、そもそも、この安全保障法制には、もはや立法事実が存在をしていません。
 政策、法律を整備するに当たっては、それが必要だという事実が存在しなければなりません。これを立法事実といいます。しかし、この立法事実について、政府の説明した内容はことごとく論破をされました。つまり、今、集団的自衛権行使を容認しなければならない理由は、現時点では全く存在しないということです。
 総理は、昨年七月の憲法解釈変更の閣議決定に先立って、集団的自衛権行使などが必要になるとされる十五事例について、パネルを使って国民に説明されました。あの十五事例、どこに行っちゃったんですかね。
 その後に総理は、国会審議においては、今度は、集団的自衛権行使が必要になる事例としてはたった三つ、すなわち、ホルムズ海峡における機雷掃海、ミサイル防衛の任に当たる米国イージス艦の防護、退避邦人輸送中の米艦防護、この三つしか言わなくなりました。残り十二はどこに行ったんでしょうね。
 そもそも、ホルムズ海峡の封鎖については、我が国には約半年分の石油備蓄があります。
 JOGMEC、石油天然ガス・金属鉱物資源機構、これは政府関係機関ですね。このホームページには、国家備蓄、民間備蓄を合わせ約八千七十万キロリットルの石油が私たち国民の共通財産であり、その量を備蓄日数に換算すると、平成二十七年三月末現在で約百九十七日分となり、万一石油の輸入が途絶えた場合でも、現在とほぼ同様の生活を維持できますと書いています。繰り返します。政府機関であるJOGMECのホームページに書いてあるんですからね。
 そもそも、我が国が武力攻撃されたのと同程度の、日本の存立を根底から覆すといういわゆる新三要件にホルムズ海峡の封鎖が当てはまることはありません。
 去る十四日の参議院特別委員会の質疑で、山口那津男公明党代表から、ホルムズ海峡における機雷掃海について問われた総理は、今現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的には想定しているものではないと、これまでの説明を百八十度覆す。
 私も、衆議院の特別委員会で、このホルムズ海峡関連のところを質疑に立たせていただきました。前提が違うんですから、あの質疑、やり直させてください。
 そもそも、こうした経済的な事情、もちろん、経済政策というのは大変重要です。しかし、経済的理由を、武力行使を正当化するその要素にしてしまって本当にいいんでしょうか。
 日中、日米戦争、これも経済権益、しかも日米戦争は特に、太平洋戦争は石油をめぐる権益確保、これが主たる要素だったんじゃないんですか。そして、世界の多くの戦争が、まさに経済的権益の奪い合い、その権益を確保しなければ自国の経済が成り立たない、こういう大義名分で行われてきたんじゃないんですか。
 経済的な事情で戦争を起こすことがあるなんということを裸で堂々と言ったら、今の世界では、到底、国際的にも通用するものではありません。しかも、経済的な事情、例えば石油の途絶などのような場合も、どこからが根底から覆す事態なのか、誰に判定できるんですか。
 それは、石油がなくなったら大変苦しい状況になりますよ。おっしゃるとおりです。しかしながら、今、備蓄があります。備蓄がどれぐらい切り崩されたときが覆す事態なんですか。あるいは、石油がなくても、我が国の石油に対するエネルギー依存度は大体三分の一ぐらいですね、残りのエネルギーで、いろいろと苦労するけれども生きていける、そうした場合が覆す事態になるのかならないのか、まさに恣意的、相対的な判断じゃないんですか。
 新三要件には、他に手段があるか否かも要件にされています。他国から石油を輸入する、そのことについての努力をどの程度したのか、こうしたところで、他に手段があるかないかも非常に相対的で曖昧な概念です。
 必要最小限とは何なんですか。
 電気がこうこうとついて、石油を使い放題の生活をする状況になるまで取り戻すのが、回復させるのが必要最小限なんですか。それとも、飢え死にをしたり凍死をしたりしないようにするところまでが必要最小限なんですか。まさに相対的、曖昧な概念じゃないですか。
 こんなものに基づいて武力行使をするだなんということを、こんな曖昧な、基準のいいかげんな法律で認めることは到底許されるものではありません。
 ミサイル防衛の任に当たる米国イージス艦の防護については、もう論外。世界最強の軍事力を誇る米国海軍のイージス艦が単独で行動し、自衛隊の保護下に入るようなケースはあり得ない、これは政府自体が認めてしまっています。
 三つ目。退避邦人輸送中の米艦防護、これも先日の委員会審議において、日本人が乗っているかどうかは関係ないという驚くべき内容の答弁が飛び出しました。
 これはまさに、赤ちゃんと高齢者だったでしょうか、あのパネルを見せて、国民の情に訴えて、それは、こういうときはやはり守らなきゃねと私も思いますよ。でも、日本人が乗っているかどうか関係ない。では、世界じゅうの船を守るんですか。全く立法事実が消滅をした。
 少なくとも、これだけ国民世論の反対が強い中で、国会の審議も二転三転、空転する中で、答弁が変わる中で、今すぐ集団的自衛権の行使容認を認めなきゃならないような立法事実がない、明確に証明されています。
 どうしてもやりたいなら、どうぞ時間をかけて国民に訴えて、衆参両院で自民党三分の二をとって、憲法改正を発議しなさい。それが王道というものです。
 この安全保障法制については、法理と政策の乖離という、これまた基本的な問題が何度も出てきています。
 安倍総理は、ISILへの攻撃を行う有志連合に参加したり、これを後方支援することはないと答弁をしました。しかし、国際平和支援法を読むと、国連決議等の要件を満たせば後方支援が可能である、私が言っているんじゃありません、中谷防衛大臣が答弁をしています。
 安倍総理には支援を行う意思がないかもしれません。しかし、内閣がかわれば、安倍総理の気が変われば、法理上できる、法令上できるんですから、何の歯どめにもなっていません。
 自分はやるつもりがないから、法律に書いていなくても大丈夫です、こういうのを人治主義といいます。法治主義ではありません。誰がその法律を使っても同じ結論になるようにするために、法令というのはあるんです。
 同じような例は枚挙にいとまがありません。
 九・一一のように、米国本土がISILによるテロ攻撃を受け、次は日本も攻撃されるかもしれないというインテリジェンスがあるような事態も、新三要件が満たされれば、存立危機事態として集団的自衛権を行使し、ISILへの空爆に参加することや地上作戦、後方支援に自衛隊を派遣することも、今回の安保法制によって法理上は可能となります。
 安倍総理は、ホルムズ湾の機雷掃海は、事実上の停戦合意があった場合のみに限られると答弁してきています。
 しかし、今回の集団的自衛権行使に当たって、条文どこをひっくり返しても、事実上の停戦合意などという要件はありません。単なる政策上の、自分はそうすると言っているだけの話を普遍的な原則であるかのように言うのは、ごまかしというんです。
 一番大事なところ、海外派兵は一般的に禁止されており、他国領域で武力行使することはないと政府は答弁する一方で、法理としては否定されるわけではないというふうに言っています。
 国連に報告されている事例を見ても、他国領域内に行かない集団的自衛権などというのは考えにくいし、そもそも法理上容認されているんですから、何の歯どめにもなっていないということです。
 個別の要件についても多々問題があります。
 まず、そもそも、存立危機事態というのが全く意味不明です。
 我が国に対する武力攻撃が発生したこと、これはいいんです。または我が国と密接な関係にある他国。密接な関係にある他国というのは何ですか。仲が悪いけれども密接な関係のある国はありますよね。日本にとっての貿易の一番の相手国、どこですか。これも密接な関係にある他国でしょうかね。密接な関係にあるのは日本語として間違いありませんよね。
 そこに対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される。そもそも、何をもって根底から覆されるのか。少なくとも、従来の要件は武力攻撃を受けた場合、そのときには確かに根底から覆されるでしょう。しかし、武力攻撃を受けていないのに根底から覆されるというのは何なんですかね。幾ら聞いても具体的な話は出てこない。
 しかも、その明白な危険というのは何なんですかね。ちなみに、我が国が武力攻撃をされようとしている場合でも、自衛隊の防衛出動の要件は、今度の政府の法案によっても、武力攻撃を受ける明白な危険が切迫していないと自衛隊は防衛出動できないんですよ。武力攻撃をされようとしている場合であっても、切迫していなきゃできないんですよ。武力攻撃をされる状況じゃないのに、明白な危険だけでどこまでできるんですかという話にほかなりません。
 存立危機事態、例えば他国に対する武力攻撃についても、例えばアメリカが実際に武力攻撃を受けた後なのか、あるいはアメリカが明白な危険があると認識した段階でこれに当たってしまうのか、全く明確になっていません。
 相手に攻撃の意図があるかどうか確認できなくても存立危機事態に認定されることがあると国会で答弁をされました。
 サダム・フセインが大量破壊兵器を隠し持っているかもしれない、大量破壊兵器がないということを証明できなかったんだから、いまだにあの武力攻撃は間違っていなかったとおっしゃっている政府です。相手が攻撃の意図を持っていないことが証明されないから攻撃する、先制攻撃が認められることになってしまうんじゃないですか。これは、政府の答弁に基づくとそうなるということを申し上げているんです。
 第二要件、国民を守るために他に適当な手段がないこと、第三要件、必要最小限の実力行使にとどまることについても、明確な基準は最後まで示されなかった。
 こうした法律は、憲法違反であるからもちろん許されるものではありませんが、そもそも法律案としてできが悪過ぎる。一度撤回して出し直すことが必要であるというふうに思います。
 政府が言ってきているのは、最終的には時の内閣が客観的、合理的に判断するという一点張りでありました。あらかじめ基準を明確にしておくことを避けてきました。
 確かに、非常に繊細な細かいところまで全部基準を決めろというのは難しいかもしれません。でも、こういうところまでやるんですけれどもここからはやりませんと何の説明もしないで、でも法律通してください、権限だけ与えてくださいと。まさに、政府に対する白紙委任にほかなりません。全く歯どめにはなりません。
 ちなみに、国会承認。確かに、国会承認、ないよりあった方がいいです。ないよりあった方がいいですが、我が国は議院内閣制です。
 大統領制のように、例えばアメリカ合衆国のように、大統領制で各政党会派の党議拘束が緩やかである場合には、それは一人一人の議員の信念に基づいて、例えば民主党大統領の提案した案件であっても民主党議員が反対票を投ずる、多々見られる、当たり前に行われることです。そうした仕組みであるならば、議会の承認というのは一定の歯どめになるでしょう。
 しかし、議院内閣制というのは、政府が国会のマジョリティーを占めていることが基本的前提になっています。そうしたことの中で、なおかつ、日本の議会制度は基本的には党議拘束ががっちりかけられる、こういう前提に立っています。初めから承認されるに決まっているんです。こうした仕組みにおける国会事前承認というのは、決定的な要素にならないということもつけ加えておきたいというふうに思います。
 後方支援の問題も取り上げなければなりません。
 私たちは、周辺事態における米軍への一定の後方支援は重要だと考えています。しかし、かつて小渕総理が、周辺事態として中東やインド洋は想定しないと答弁されていた、このことはどうなったんでしょうか。こんな基本的なことが後の内閣によって簡単に覆されています。つまり、安倍総理の答弁も後の内閣で簡単に覆されるということをみずから認めているにほかなりません。
 しかも、今回の国際平和支援法案では、日米安保条約と関係のない事態でも、現に戦闘行為が行われている場所でなければ、世界じゅうで他国軍隊に後方支援できるようになります。
 しかし、戦場近くで、運搬、補給、さまざまな後方支援活動を行っている。相手国から見たらどうなるでしょうか。従来の基準のように、派遣期間を通じて戦場になり得ない場所であったとしても、相手から見れば敵国に見えるでしょう。ましてや、今は戦場になっていないけれどもあした戦場になるかもしれないような場所で後方支援をしていれば、相手から見ればまとめて敵国じゃないですか。
 きのう、木村先生という首都大学の憲法の先生から指摘を受けて私も気づきましたが、逆はいいんですか。
 例えば、我が国がどこかの国から武力攻撃を受けた。武力攻撃で弾を撃っているのはA国だけれども、その戦場すぐそばでB国が武器弾薬補給をしている。これは、敵国と認めて攻撃の対象にできなくていいんですか。そうしたら、国を守れませんよね。それの裏返しですよね。こんなことを堂々とおっしゃっているというのは、全く軍事のリアリズムを欠いていると言わざるを得ないと思っています。
 こんなできの悪い法案だから、自衛隊の皆さんに大変なリスクを負わせます。
 今回の水害でも、自衛隊の皆さん、消防や警察、海上保安庁などの皆さんともども、大変な御尽力をしていただきました。あの東日本大震災のとき、自衛隊の半分の皆さんに災害対応に出動していただき、本当に首相官邸ではわからないような現場の多々の御苦労があったものというふうに思います。
 だからこそ、そうした活動をされた自衛隊の皆さんに、多くの国民の皆さんは感謝と敬意を払っておられると思います。そうした皆さんに必要のないリスクを課してはいけない、それは、私たち政治の役割だというふうに思います。
 後方支援と呼んでも、兵たんです。兵たんを狙うというのは、ギリシャ、ローマの時代から、中国三国時代の時代から軍事の基本です。それが、戦場近くまで行って活動できる、これでリスクが高まらないなんということをどうして言えるのか、私には全く理解ができません。
 PKO法の改正でも、治安維持任務を行えるようになりました。自衛隊が戦闘に巻き込まれ、撃ち、撃たれる両方のリスクが高まります。
 中谷大臣は、審議が始まった当初、自衛隊のリスクが変わることはないと答弁をしていましたが、途中から、リスクが上がる可能性はあるが極小化させると答弁を変更されました。どっちなんですか。
 政府は、自衛隊の安全確保措置を規定したと言いわけしていますが、これも、この規定の対象になっていない法文もある。しかも、自衛隊がより戦闘に巻き込まれやすいところで活動できるようにしておいて、危なくなったら活動を中断、退避するから大丈夫だと。自衛隊はどこでもドアを持っているんですか。危なくなったら中断、退避する。瞬間移動でもできるんですか。全くリアリティーを欠いた主張である。
 こんなことで、リスクを認めた上で、そのリスクが本当に自衛隊の皆さんに負っていただくに値するリスクなのか、そのための最小化、極小化措置が本当に適切なものなのか、それを審議しなきゃならないのに、リスクはふえないと言い募ってきた中谷大臣初め政府の責任は重たいと言わざるを得ません。
 実態的な話だけではありません。制度的にも自衛隊の皆さんに過大な負担を負わせます。
 自衛官は、捕虜になっても国際法上捕虜の扱いを受けない。何なんですか、これは。自衛官が過って民間人に危害を与えた場合、通常の刑法が適用される。司法は独立しているから、そこのところに政治的配慮は働かない。当然ですね。憲法が交戦権や海外での武力行使を否定しているんですから、こうなるのは当然なんです。にもかかわらず、むちゃな、憲法違反の解釈をしてこんな法案をつくるから、問題が生じるのは当然なんです。その負担を負わされるのは、安倍さんでも中谷さんでもありません。現場の自衛官なんです。
 こんな法律を進めようとしている政府を到底信任することはできません。
 日本を取り巻く安全保障環境の変化、それは私たちも全く同意です。北朝鮮のミサイル、尖閣問題、大変重要な問題です。しかし、領土、領海を守るというのは個別的自衛権です。
 北朝鮮のミサイルが日本の領土や領海に向かう、少なくとも向かいそうだ、照準を合わせて燃料が充填されている、武力攻撃の発動要件を満たしますから、以降、それに対抗するのは個別的自衛権です。尖閣諸島の領土、領海でこれに対する侵略的な行為が行われたとき、まさに個別的自衛権です。
 この個別的自衛権をいかに充実させるのかということこそが、まさにこの二つのテーマが重要であるならば、何よりもやらなきゃならないことじゃないですか。
 日本の防衛の基本の方針は、いわゆる防衛力構想というので定められます。かつて、基盤的防衛力構想というのがありました。三木内閣のときにつくられたと言われています。米ソ冷戦の時代です。
 米ソ冷戦の時代は、日本の自衛隊、防衛力というのは、当時のソ連が北から攻めてくる、このリスクが一番高いということで、それに備えた防衛力構想、基盤的防衛力構想が構想されました。これに基づいて、自衛隊の体制、装備あるいは訓練などが行われてきた。
 この基盤的防衛力構想はいつ転換されたのか。米ソ冷戦が終わり、ベルリンの壁が崩れ、ソ連が崩壊してロシアになり、もちろんロシアも、近隣諸国ですから、仲がよかろうと悪かろうと、それは一定の脅威はあります。今も脅威がゼロではありません。しかしながら、米ソ冷戦時代のソ連の脅威とは比較にならないぐらいそのリスクは小さくなり、そして一方、この冷戦崩壊後の二十年余りで、北朝鮮のミサイル問題や尖閣などの問題が急激に高まってきたわけであります。
 一九九〇年、米ソ冷戦が終わって、ベルリンの壁が壊れて、新しい世界秩序に入ってきた。すぐにこれを変えられたかといえば、それはできなかったでしょう。でも、そこからおよそ二十年、この米ソ冷戦時代の基盤的防衛力構想をそのまま存続し、放置してきたのは、歴代自民党政権です。とっくの昔に日本を取り巻く安全保障環境は変わっていたのに、米ソ冷戦時代の名残を変えることができないので放置してきた。変えたのは、しがらみのない民主党政権。動的防衛力構想に転換し、南西方面の島嶼防衛やミサイル防衛に重点を置く、これに変えたのは民主党政権である。
 集団的自衛権のように、一つの言葉を言えば何となく、国を守っていることに一生懸命やっているように国民に誤解を与えるような、そういう一言の言葉はありません。でも、まさにこうした地道に自衛隊の体制、装備、訓練、こうしたことを充実させて個別的自衛権を充実させること、これこそが日本の領土、領海を守ることだと私は考えます。
 私どもが定めた動的防衛力構想をさらに進化させて、現状では、南西方面の島嶼防衛やミサイル防衛のために日本の防衛力構想が進んでいる。今、このことを地道に着実に進めていくことこそが我が国の領土、領海を守ることにほかなりません。
 その中で、今法制上足りないところはどこなのかといえば、まさにグレーゾーンそのものじゃないですか。
 南西方面の離島、例えば尖閣諸島などが、他国の国権の発動として明々白々攻めてきたならば、それは初めから個別的自衛権の行使だから、これは法制上シンプルです。
 一方で、純粋に、民間人が例えば難民のような形で来た場合、これはまさに、自衛隊の力をかりることがあったとしても、それは警察権の行使です。
 問題は、一番可能性のあるリスクとしては、民間を装ってはいるものの、実態はどこかの国の国家権力の行使として尖閣諸島が襲われる、こうしたケースにしっかりと法律が整備をされているのか、体制が整備をされているのか。私たちは、ここの法整備こそが、今、日本の領土、領海を守る上で圧倒的に緊急度の高い我々の役割だと思っています。
 私たちは、こうしたケースに警察権、つまり海上保安庁などと自衛権、自衛隊との役割、連携がしっかりと進んでいけるように、領域警備法案を一部野党とともに提出いたしましたが、ほとんど審議はされませんでした。
 この領土、領海やその近辺といった一番身近な事態についての議論を避け、立法事実もない集団的自衛権の話にうつつを抜かしている。到底、国民の命と平和な暮らしを守るというのは、本当の思いではない。集団的自衛権という、歴史の教科書に残るかななんというでかい仕事をやりたいというどなたかの個人的な思いなのではないでしょうか。
 大丈夫です。先ほど申しましたとおり、歴史に残ります。私たち日本人に立憲主義の重要性を感じさせてくれた、大変大きな功績で歴史に残りますから、安心してください。
 いや、こういうところを守る上でも、アメリカとの連携を強化する、これによって日米同盟を強化する、このことが大事なんだ、それによって抑止力が増すんだという話は、一見もっともらしく聞こえます。しかしながら、私は、安全保障をリアルに考える上ではナイーブ過ぎる議論だと思っています。
 戦後七十年、占領時代から含めて七十年、アメリカ合衆国は、日本の防衛のために軍事力を提供しています。
 お人よしで守っているのでしょうか。アメリカだって民主主義の国です。国民世論があります。アメリカの国民が、自国の若者が命を失うかもしれない、自国民の払っている税金が使われる、そうした中で日本を守っているのは、お人よしな議論でやっているんじゃない、アメリカの国益にかなうからやっているんです。
 地政学的な見地から、アメリカ合衆国は、この太平洋の西側の外れ、この周辺に安定的な基地を持ちたい、これがアメリカの国益にかなう。私たちの国は、そのアメリカの国益のために基地を提供し続けてきている。沖縄の皆さんを初め多大な国民の皆さんの負担の上で、基地を提供し続けている。
 日本列島に自国の軍隊の基地があるんですから、アメリカは、当然のことながら、自国を守るのと同じように、日本にある米軍の基地を守るのは当然のことです。私たちは、その見返りとして、我が国の領土において基地を提供しているんです。集団的自衛権を、憲法解釈を変更し、立憲主義に反するようなことまでしてアメリカにおつき合いをしなかったからといって、日本に基地がある以上は、アメリカは日本を守るという義務から逃れることはできません。
 同時に申し上げれば、アメリカ合衆国も、ある意味では、ある時期までの日本以上に立憲主義の重要性というものを十分にわかっています。立憲主義に反するような無理をしてまでやることはできません、そのかわり、私たちは、アメリカの同盟国として、安定的な基地を提供するし、さらには、憲法の許す範囲内では最大限の協力をします、実際にこれで七十年間やってきたじゃないですか。
 安保法制については、そのプロセスにおいても到底容認できるものではありません。
 安倍総理は、国民への開かれた議論を拒み、反対意見を封じ、国会を軽視し、自分の思いどおりに法改正を実現しようとしています。
 まず、そもそも、スタートは、有識者による安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会や与党協議において、閉鎖的に議論を進めました。この議論のプロセスにおいては、国会において何度も、こうしたところでどういう議論をしているんだ、そして安倍総理自身はどういう考え方を持っているのか、幾ら国会で聞いても、こういうところで議論しているからと言って答えをはぐらかしました。
 一切実質的な議論に応じないで、そして昨年七月一日に、国会での審議も国民への十分な説明もないまま、新三要件に基づく閣議決定を行いました。
 そして、ことし四月、何度も言われていますが、まだ法案を国会に提出してもいないのに、米国議会で、安保法制をこの夏までに成立させると約束してきました。
 夏までに成立させたいというのがぎりぎりです。国民に法案の審議と成立をお願いする立場の総理が、かかる重要な法案の成立を他国で明言するなど前代未聞。いつから日本は米国の属国になったんですか。
 集団的自衛権の行使容認だけでなく、外国軍隊の後方支援、PKOなど性質の違う法案十一本をまとめて、しかも、そのうちの十本が一つの法案に束ねられて国会に提出をされました。衆議院の特別委員会では百十六時間審議しましたが、一本当たりわずか十時間程度の計算です。議論を深めないで成立を図りたい、こうした場合の常套手段。
 しかも、この審議においては、閣僚の答弁が行き詰まり二転三転し、衆議院でも参議院でも、くしくも同じ回数、百十一回、審議における速記がとまりました。要求した資料や政府の見解もなかなか提出されず、議論は時間に比例して深まることはありませんでした。むしろ、審議をすればするほど疑問がふえました。逆立ちしても、審議が尽くされたとは言えない状況であります。
 にもかかわらず、なぜ今週無理やり採決するんですか。
 我々は、きょう十八日の定例日、そして、異例であっても、これだけ重要な法案です、祝日である来週の二十二日、二十三日、これも定例日ですから、審議に応じると言っていました。にもかかわらず、こんなに急いだのはなぜでしょうか。まさか、この連休にゴルフに興じるため採決を急いだのではないでしょうね。
 国民の八割が政府の説明は不十分だとし、半数以上が政府の安全保障法案は憲法違反あるいは今国会での成立に反対と答えています。政府・与党内から、国民の理解が進まないのは、野党や一部のマスコミが政府案を喧伝したせいだという声も聞こえていますが、責任転嫁も甚だしく、聞き捨てなりません。
 大体、国会審議においても、聞かれたことに答えずに、自分の言いたいことをべらべらべらべらしゃべったのは誰ですか。疑問点を追及されるようなテレビからは逃げて、一方的に自説をまくし立てることができる媒体だけ選んでテレビ出演してきたのは誰ですか。
 大体、審議の姿勢、何度も総理のやじで国会審議が混乱をしました。国会審議で議論が白熱をしてくる中で不規則発言が出る、そうしたケースがあることは、私は否定しません。しかし、今回の一連の総理のやじは、審議の中で議論が熱を帯びてとは全く関係ない、発言者に、まさにおかしなレッテル張りをするのか、おかしな揚げ足取りをするのか、こうしたやじで、真摯な姿勢では到底ないし、到底許容されるやじの範囲を超え、しかも、学習能力がないのか、普通、一度やったら半年や一年は二度目やらないんじゃないですか。この国会中に三回ですよ。こんな学習能力のない方に総理大臣を続けさせていいんでしょうか。
 国民の理解と後押しがない外交・安全保障政策は対外的に説得力を持ちません。また、国民の理解と後押しがない、そうした安全保障は脆弱です。こうした中で無理に強行をするのは、まさに我が国の安全保障、そして外交をむしろ弱体化させます。
 きょうも国会の外ではたくさんの皆さんが、まさに世代を超え、立場を超え集まっておられます。全国各地でも集会が行われています。このまま政府案を強行させては、歴史に大きな汚点を残すだけでなく、この国の民主主義という観点からも大きな禍根を残し、国民の生命と財産をむしろ危険にさらす存立危機事態をまさに招来すると言わざるを得ません。
 そもそも、外交、安全保障と言われますが、安倍政権の外交は失態続きです。何といっても、近隣外交が破綻をしています。
 対立点はあっても、中国や韓国は選ぶことのできない隣国であります。確かに、例えば産経新聞のソウル支局長の件など、相手方にも多々問題があります。しかし、安倍総理の側の言動に全く問題なしと胸を張れるんでしょうか。
 総理就任以来二年半、日中首脳会談を開けず、実現しても、短時間の会談がわずか二回。日韓首脳会談も、安倍総理就任以来、二国間では一度も開催されていない異常事態です。
 安倍総理がいつも胸を張っている北朝鮮拉致問題、この交渉での進展も全く見られません。北朝鮮の再調査という口車に乗り、昨年七月に制裁を一部解除したものの、北朝鮮は誠意ある調査を行わず、一年以上たってもナシのつぶてであります。北朝鮮は近く核実験を行うとの観測も出ています。安倍総理は、完全に今、北朝鮮に手玉にとられています。
 手玉にとられているのは対ロ外交も一緒です。北方領土交渉は、むしろ後退をしています。
 八月二十二日には、メドベージェフ首相が択捉島を訪問し、北方領土の軍備増強を表明しました。メドベージェフ首相が、日本は第二次世界大戦の結果に異論を唱え続けているなどと述べたことに日本政府は抗議しましたが、ロシアの副首相は、伝統に従って腹切りをして落ちつけなどと無礼千万の発言をしています。
 九月二日には、ロシアの外務次官が北方領土問題について、私たちは日本側といかなる交渉も行わない、この問題は七十年前に解決されたなどと言っています。
 まさに、この北方領土問題は、この間大きく大きく後退をしてしまっています。
 外交ということで申し上げれば、南極海における調査捕鯨の訴訟に敗訴しました。二〇一四年三月、国際司法裁判所でオーストラリア、ニュージーランドに敗訴し、調査捕鯨は中断を余儀なくされました。政府は当初、勝てると楽観視していたようであります。政府の情報収集能力と外交手腕の欠如を露呈したものであります。
 沖縄問題にも触れなければなりません。
 辺野古移設反対の翁長知事と、知事就任以来四カ月間面会を拒否しました。話し合う場も聞く耳も持たず、粛々と進めると傲慢な態度で強行に事業を進め、沖縄県民の皆さんの心情に傷をつけました。
 その後、協議の場を持ったものの、知事の示した戦後沖縄の事情も勘案した見解に対して官房長官は、戦後は日本全国、悲惨な中で苦労したと発言をされました。
 確かに、戦後は日本全国苦労しましたよ。でも、沖縄が特別であるということは、これは常識じゃないですか。ある意味では、日本国民共有の認識じゃないんですか。唯一地上戦が行われ、そしてその後、統治下に置かれ、この沖縄の犠牲を、日本全体が苦労した、こんな言葉で返せる、こんな人に沖縄問題を扱う資格はない。
 沖縄の歩んだ歴史に全く寄り添う姿勢も見せず、協議も一カ月で打ち切って、既に行政判断は示されていると、再度高圧的な態度で埋め立てを強行しようとしています。これでは到底、沖縄県民の理解を得ることはできません。
 安倍総理は、戦後の平和主義、立憲主義、民主主義を破壊していますが、経済的にも、あるいは社会的にも、我が国の戦後七十年の宝を破壊しています。
 労働者派遣法、残業代ゼロ法案、解雇の金銭解決制度、労働法制の改悪を次々と打ち出しています。目指すのは、世界で一番企業が活躍しやすい国、つまり働く人たちが虐げられる国、堂々と公言をしておられます。
 労働者派遣法案はこれまで二度も廃案になりました。今回も、議論の中、多々問題点が明確に指摘されたにもかかわらず、そして大勢の働く人たちの反対の声を無視し、今国会で無理やり成立をさせました。
 安倍総理は、労働者派遣法案を、正社員の道を希望している方々についてはその道を開いていく法案であると説明をされました。しかし、実態は全く逆であります。成立した派遣法は、派遣労働者の期間制限を事実上撤廃し、正社員を減らして派遣社員をふやし、正社員になりづらくするものである、これはもう審議の中ではっきりしています。
 安倍内閣が、法律では初めて規定するんだと自慢している雇用安定措置も、要するに、派遣会社が新しい派遣先を紹介するだけで義務を果たしたことになり、正社員になりたい人には何の役にも立ちません。
 八月上旬に行われた日本経済新聞などの調査によれば、派遣社員当事者の七割近くが法案に反対をしています。理由として、多くの人が、派遣社員の根本的な地位向上にはならない、派遣社員が固定化する、二十六業務の人が契約更新されない可能性があると回答されています。
 安倍総理は、これであなたも正社員になれますと胸を張って言えるんでしょうか。まさに、一番状況をわかっている当事者の皆さんが、この法案を歓迎するどころか、反対をしているんです。七割も反対しているんです。
 法案成立によって、若者の正社員への道は狭まります。期間制限がかからない専門二十六業務で働いてきた派遣社員は、三年後に雇いどめに遭って路頭に迷ってしまう可能性もあります。
 今は正社員の方も、一旦離職をしたら正社員になれる保証はありません。どんな立場で働く人にとってもマイナスばかりです。派遣社員を使って人件費を削減できる企業が目先の利益を得るだけ、これが法案の真の姿であります。
 派遣社員の給与は正社員に比べて大幅に低く、派遣社員の女性は、産休や育休をとることが困難である、これもこの審議の中で改めて確認をされています。
 法案成立によって派遣社員がふえたら、結婚したり子供を持ちたいと思ってもできない人、いや、それどころか、こうした当たり前の夢や希望すら持てない人をふやし、むしろ、結果的に少子化対策の足を引っ張ることになります。
 不安定な雇用が中心の社会となれば、誰も安心して消費できません。わずかな給料を少しでも節約して、貯蓄を少しでもつくっておこう、そうなるのは当然です。消費が悪化して、経済にも結果的に悪い影響を与えます。
 しかも、法案成立から、与党が修正した施行日である九月三十日まで、わずか十九日間です。労働政策審議会で法施行に必要な政省令を検討する時間、その周知期間、パブリックコメントも非常に短い期間で終わらせてしまっています。どうしてこんな無理をしなければいけないんですか。
 さらには、過労死ゼロではなくて、残業代ゼロを目指しているのが安倍内閣であります。
 昨年の通常国会で全会一致で成立させた過労死防止対策法、残業代ゼロ法案は、これをほごにする悪質な法案であります。過労死で御家族を亡くされた遺族の皆さんの多くが、昨年の過労死防止対策法の成立を喜んでおられましたが、この残業代ゼロ法案の提出に怒り心頭であります。
 この法案で創設される高度プロフェッショナル制度のもとでは、残業代や休日手当を支払わず過重な長時間労働を合法的に課すことができるようになります。
 確かに、最初は、年収約一千万といった要件に合致した労働者だけが対象になっていますが、この手の制度はいずれも、最初はごく一部の人だけに適用される、そこから始まって、いつの間にかじわじわじわじわと拡大をされていく、何度もそんなことを経験してきたじゃないですか。
 しかも、同時に、営業職などへの裁量労働制が拡大をされています。これには年収要件すらありません。より多くの人に長時間労働を強いるものであります。
 そもそも、裁量労働制の対象者の労働時間は、企業側も把握していないケースの方が多い。これでは、過労死した場合でも過労死認定を受けられません。こんなケースが続出しかねない状況です。
 このように、働く人を物扱いして、いかに労働コストを下げるのか、ここには安倍政権の本質が如実にあらわれています。
 確かに、目先の企業収益のためには、人件費コストをいかに安く下げるのか、それは適切なことです。私も、企業経営者であれば、人件費コストをいかに下げるのか、そのために一生懸命努力します。しかし、あくまでもそれは、目先の企業収益のためです。
 そもそも、日本が戦後復興、高度成長を遂げてきた、その源泉はどこにあったのでしょうか。日本には、広大な国土面積を有している、そんな事情があったわけではありません。豊富な地下資源に恵まれていたわけでもありません。軍事力を背景に経済を成長させ発展させたわけでもありません。あくまでも、日本の戦後復興と高度成長、今の豊かさを先輩世代の皆さんがつくってくださったのは、まさに人の力です。人材力です。
 しかも、もちろん、松下幸之助さんを初めすぐれた企業経営者の方はたくさんいましたが、その日本の高度成長や戦後復興は、数少ないスーパーマンが頑張って、そのことによって戦後復興や高度成長がなされたのでしょうか。
 そうではありません。むしろ、一部のスーパーマンに引っ張られたのではなくて、あの時代を生きていたほとんどの働く皆さんがまさに一生懸命努力をした、その一人一人の働く皆さんの努力の集積が戦後復興と高度成長をつくり上げてきたのではないでしょうか。
 日本の経済を発展させ、今に至らせた、その力の源泉をぶち壊そうとしているのが、この労働法制の改悪です。
 日本のすぐれた労働力は、もちろん、家庭、学校教育にも大きな要素があります。でも、それと同じぐらい、場合によってはそれ以上に、企業内における広い意味でのオン・ザ・ジョブ・トレーニング、先輩から後輩へと技術やノウハウが引き継がれ、先輩が後輩を指導し、働く側もその職場に誇りを持ちながら努力をする、そうした積み重ねの中で、日本の一人一人の働く皆さんの労働生産性は著しく高まり、その総合力によって日本は高度成長を遂げてきたのではないでしょうか。
 働く人たちの労働コストを安く抑える。目先の経営にはいいでしょう。でも、来月はどこで働いているかわからない、四年後、五年後はどこで働いているかわからない、この職場にはいないだろう、そういう不安定な働き方をされている皆さんが、この職場で一生懸命技術、ノウハウを身につけて、そういうモチベーションがあるでしょうか。あるいは、同じ職場で働く正社員、先輩の皆さんが、この後輩に技術やあるいはノウハウをしっかりと引き継いで、自分を育ててくれたこの企業を将来にわたってしっかり支えてもらおう、そうした努力をするモチベーションが生じるでしょうか。残念ながら、それを期待することはできません。
 現に、ロストジェネレーションなどと言われている世代の皆さん、不安定な雇用の中で長年職を転々とせざるを得ない、そうした状況の中で、スキルを身につけることができずに、年を重ねても低所得に甘んじざるを得ない、そんな状況の人たちが、もはや若者とは言えない、そうした世代にまで広がってきています。
 ただでさえ、日本は人口が減り始めているんです。若い人たちの数が減っているんです。そうした状況の中で、数少ない若い人たちの中にこうした、職場の中でオン・ザ・ジョブ・トレーニングでスキルを身につけ、スキルを高め、こうした場を得ることができない、そんな人たちの数をふやしてしまって本当にいいんでしょうか。本当に、日本の五年、十年、三十年先を誰が支えるんでしょうか。
 企業経営者ならば、目先の、ことしの、来年の企業収益というものを考えて、少しでも労働コストを安く抑えよう、そういう方向に走りがちになるのは否めません。だからこそ、政治が、そういうことをやっていたら日本全体が沈むんですよ、だから、働く皆さんがそれぞれの職場でスキルを高め、スキルを身につけ、生産性を高めて、その企業を、日本経済を、十年、二十年、三十年先ももっともっとしっかりと発展させていける、そうした働き方ができるようにするのが政治の役割じゃないですか。目先の企業収益を高める、そのまさに目先のことのために後押しをする政治では、政治の役割を果たしているとは言えません。
 この労働者保護ルールというのは、まさに当事者である働く皆さんにとって大事な話であると同時に、日本の経済、社会にとっても大変大事な話であるということをしっかりと皆さんに理解していただきたいというふうに思っております。
 安倍内閣の不信任に値する問題は、例を挙げれば枚挙にいとまがありません。GPIFの年金積立金の運用問題、漏れた年金情報の問題、さまざまな問題があります。何といっても、アベノミクスの失敗は、もう包み隠すことができない状況になっていると思います。
 アベノミクスの第一の矢、異次元緩和は過度の円安を招き、輸入物価が上昇しています。賃金上昇は物価上昇に追いつかず、実質賃金は二年以上下落し、消費は低迷したままであります。第二の矢、大規模財政出動もさまざまな弊害をもたらし、財政悪化だけが拡大をしています。第三の矢、いわゆる成長戦略も遅々として進みません。根本が間違えているんです。
 先ほどの労働法制の話のように、目先の企業収益、これも大事です。ですが、目先の企業収益ではなくて、まさにこの二十年余りにわたって私たちの国の潜在成長力が低下しているんです。その中で人口が減少しているんです。一人一人の生産性を高める、そのためには、遠回りなようでも、例えば教育を充実させる、それも、貧困などによって十分な教育を受けられない子供たちがたくさん出ている、いかに減らして、ただでさえ数少ない子供たち、そのできるだけ全ての人たちを、しっかりと働いて、多くの収入を得られて、そして家庭を持って、希望すれば子供を産み育てて、こういう状況をつくっていくことが、遠回りなようでも、何よりもの日本の経済の立て直しではないでしょうか。
 若いころに頑張って、一定の蓄えを持ち、一定の年金をもらっている高齢者の皆さん、そうした皆さんが、例えば輸入物価の上昇によってますます財布のひもを閉ざしています。年金、医療、介護、将来の不安はますます大きくなる一方です。こうした皆さんが安心してお金を使えるような、安心できる年金、医療、介護、すぐにはできません、すぐにはできませんが一歩でもそちらに向かっている、そういう状況をつくることで、こうした先輩世代の皆さんが若いころに蓄えてきたものを少しずつでも使っていただく、そうしたことなしにどうやって消費がふえるんですか。
 こうした遠回りなことを先送りしてきて、放置してきて、目先のことばかりやってきたから、この二十年余りの失われた日本ができ上がってきたんじゃないですか。ますます目先のことに特化をしているのがこの二年余りの安倍政権である。これでは、確かに一時的に株価を上げることはできても、日本の迎えている危機を克服することはできないと言わざるを得ません。
 安倍政権は、例えば、我が国の基本である報道、表現の自由に対しても大変威圧的な態度であります。
 ことし六月二十五日の自民党文化芸術懇話会における発言については、事務局はいろいろ発言メモをつくってくれましたが、今さら繰り返すのも恥ずかしい話ばかりなので繰り返しませんが、そもそもが、公共放送であるNHK籾井会長、本当にこの方が適切だと思っていらっしゃるんでしょうか。政府が右と言うことに対して左とは言えない、籾井会長が就任の際におっしゃった発言です。まさにそういう報道になっているじゃないですか。籾井会長が言ったとおりにやっているじゃないですか。本当にこれでいいんでしょうか。
 五月二十六日のこの本会議場で、私は安全保障法制の趣旨説明に対する質疑に立ちました。
 そのとき、私は斎藤隆夫議員の反軍演説を取り上げました。昭和十五年のいわゆる反軍演説に対し、男性のみとはいえ、普通選挙により民主的に選ばれていたはずの本院は、賛成二百九十六、反対七という圧倒的多数で斎藤隆夫議員の除名を決定しました。
 民主的なプロセスに基づいていたとしても、いっときの多数が大きく道を誤ることがあり得るというのは、先ほど言ったナチス・ドイツだけではないんですね。我が国自身も、わずか七十五年前に経験をしているんです。だからこそ、民主的に選ばれた多数派といえども、憲法に拘束されるという立憲主義が重要なのであります。
 憲法違反の安全保障法制は、残念ながら、参議院での採決が行われるかどうかというところに来ています。この安全保障法制を衆議院議員の立場でとめることができるのは、この内閣不信任を可決することしかありません。
 斎藤隆夫議員の除名処分に対して賛成をした二百九十六名の当時の帝国議会衆議院議員、この人たちが、わずか五年後、歴史によって大きな間違いを犯したと断罪された。同じ過ちを犯したくないならば、今こそ安倍総理の不信任に賛成をすべきであります。
 私の尊敬する憲政の神様、尾崎咢堂氏は、昭和二十二年、「民主政治読本」でこう言っています。
 一般人民から選ばれた代表が一堂に会して会議を開くのは、何のためであるか。言うまでもなく、それらの代表が、どうすることが最大多数の最大幸福であるか、どうすれば国家の安全と繁栄が期待せられるかという立場に立って、思う存分に意見を闘わし、これを緊張した各代表が、何者にも縛られない完全に自由な良心を持って、議案の是非善悪を判断した結果、多数の賛成を得た意見を取り上げて、民意を政治に反映させるためである。
 ゆえに真正の議会においては、少数党の言い分であっても、正しければ多数の賛成を得て可決せられ、多数党から出した議案でも、議場の討論において、多数議員の良心を引き寄せることができなければ否決せられるのでなければならぬ。もし多数党の言い分なら何でも通り、少数党の言い分であれば何一つ通らないということが、会議を開く前からわかっているなら、会議を開くことは、全く無用無意味な暇つぶしである。
 憲政の神様、本院名誉議員である尾崎咢堂氏の弁であります。
 さらには、大正六年、「憲政の本義」においては、衆議院にしていやしくも立言議定の府ならんや、その最もとうとぶところは言論せざるべからず、しかるに我が衆議院及び世間は常に言論を侮辱し、欧米にあっては討論数各夜にわたるべき大問題も、我が国においては数時間以上の討論を許さず、賛否の議論、いまだ半ばに至らざるに当たって、討論終結の声、既に四方で沸く、我が衆議院は衆議院にあらずして表決院なり、我が国には表決堂ありて議事堂なし。大正六年の言であります。
 今、国会は、表決堂たるのか、議事堂たるのかが問われていると考えます。
 立憲主義を破壊し、民主主義を破壊し、日本の戦後平和主義を破壊する、この暴挙に対して、議員各位が、一人一人の個として、それぞれの所属政党ではなく、それぞれの政党で、次に大臣になれるか、副大臣になれるか、政務官になれるかではなく、本当に、歴史に対して責任を持って、責任を感じて、一票を投じていただきたい。
 私は、まさに、この国の立憲主義と民主主義を守るため、安倍内閣は不信任されるべき、皆様に心よりお訴えをして、趣旨説明とさせていただきます。
 皆様方の、心ある、一人一人の個の判断による賛成を心より期待申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)

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